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2014.05.20

【Cases & Trends】 ライバル社に知られてからでは遅すぎる! 米営業秘密事件におけるInevitable Disclosure Doctrineとは?

国境を越えた企業間、あるいは水平・垂直関係の企業間など、様々な形態の企業間コラボレーションが増加するいま、技術ノウハウや営業秘密(トレードシークレット)という知的財産の重要性が再認識されると同時に、その流出リスクへの対策が非常に重要視されるようになってきました。また、企業の研究開発に従事する従業員が生涯(business life)を通じ複数の企業/雇用主の下で働くことが多くなっていることも、トレードシークレット流出のリスクを高めています。

トレードシークレットという知的財産の性質上、契約による義務や通常の法的救済に頼ることのみで不正流用を確実に回避できるとは限りません。標題にある通り、重要トレードシークレットがライバル社の手に渡ったり、開示されてしまった後ではもう遅い、という場合も少なくないといいます。このような状況に対処する法理として、最近アメリカのトレードシークレット不正流用事件(misapprorpriation case)で目にすることが多くなったのが、Inevitable Disclosure Doctrineというものです。

そこで今回は、このInveitable Disclosure Doctrine(「不可避的開示の法理」)についてご紹介いたします。

*この原稿は、筆者が去る4月22日に日本ライセンス協会・米国問題ワーキンググループ研究会において本テーマについて発表した際に使用した資料に修正を加えたものです。

Inevitable Disclosure Doctrineとは
この法理は、重要なトレードシークレットを保有している従業員開発者等が、競合他社へ移籍しようとする際に、この財産的情報が不当にライバル社に開示されないようにすることを目的としています。

立証要件:
1)当該従業員による当該トレードシークレットへのアクセスの事実。
2)当該従業員における新たな雇用先での任務が元の雇用主のそれと類似しており、彼が新たな雇用主の任務を遂行する上で、当該トレードシークレットを使用または開示することが不可避であるといえること。

救済:
新たな雇用主(競合他社)のもとで働くこと、または特定の任務に就くことを一定期間禁ずる仮差し止め(preliminary injunction)、あるいは(レアケースではあるが)永久差し止め命令が認められることもあり。
—— 統一トレードシークレット法 第2条(a)項 Uniform Trade Secrets Act §2(a)〈1985〉

すなわち、企業のトレードシークレットを知る者が同様の立場で他社に移籍する場合、当該他社でそのトレードシークレットを現実に使用/開示したこと(actual use or disclosure)の証明なしに差止め救済を認めるための法理です。 この法理の根底にある考え方自体はかなり前から存在していたようですが、現在の形でこの法理を確立した判例は、連邦第7巡回区高裁のPepsiCo, Inc. v. Redmond事件(54 F.3d 1262 (7th Cir. 1995))と言われています。

Inevitable Disclosure Doctrineの適用状況
最初にPepsiCo事件でこの法理が採用されたとき、知財法と労働法の世界では現行ルールへのドラスチックな変更に対する衝撃が走ったといわれます。しかし、ほどなく、当初懸念されたほどのインパクトはないことがわかってきました。すなわち、
1)この法理に基づく差止め命令はかなり慎重: あくまで特定の従業員が、特定の(短い)期間、特定のポジションに就くことを禁ずるもの。 *PepsiCo事件でRedmondがゲータレード社へ転職することが禁じられた期間は6ヶ月
2)多くの裁判所が、この法理の採用を拒んでいる。あるいは採用について曖昧な態度をとっている。
「雇用主の財産的秘密情報の保護 vs. 従業員が職場を移動できる自由の確保」という構図においては後者を重視する裁判所が少なくない。

とはいえ、この法理は現実に存在する法理論であり、雇用主、従業員双方が、雇用関係終了時に本法理が及ぼしうる効果・影響について、それぞれの立場から認識しておく価値はあります。また、この法理の採用を(心情的に)拒んでいる裁判所が少なくないとはいえ、企業防衛の現実に鑑み、何らかの形で適用していることも事実です。  * 末尾「付録 – 各州比較表」参照

参考資料:”Keeping the Cat in the Bag: Inevitable Disclosure Doctrine and its Inevitable Evolution” New York University Journal of IP and Entertainment Law (Feb. 2014) “A State-By-State Analysis of Inevitable Disclosure: A Need for Uniformity and a Workable Standard” Ryan M. Wiesner,16 Intellectual Property L. Rev. 211 (2012)

最近の事例紹介: Advanced Micro Devices, Inc. v. Feldstein et al., D.Mass. 5/15/2013
仮差し止め命令申し立てに対する裁判所命令 - マサチューセッツ地区連邦地裁
(Memorandum and Order on Application for Preliminary Injunction)

I.事実概要
原告AMDの従業員であった被告Feldstein他は、雇用期間中、AMDの技術仕様や事業戦略に関する秘密情報へアクセスする権限を与えられていた。 AMDと被告は雇用に際し、Business Protection Agreement(BPA) を締結していた。BPAは、雇用終了後のAMD秘密情報の保持や開示、退職後一定期間の勧誘行為を禁止していたが、競業避止条項はなかった。その後、2012年7月から2013年1月にかけ、被告らはAMDのライバルであるNvidia 社へ相次いで転職した。

被告Feldsteinの行為: AMDにおいては大手顧客との戦略的ライセンス交渉を担当。
AMDにおける勤務の最終日は2012年7月13日、Nvidiaにおける最初の就業日は2012年7月16日。
– AMD退社直前に1ヶ月のサバティカルを取得。FeldsteinのUSBサムドライブを調査した結果、サバティカル休暇中の7月3日、AMDが支給したFeldsteinのラップトップパソコンを通じて、AMDのイントラネットから8,148ファイルがコピーされていることが判明。
– さらにその後のフォレンジック調査により、退社日の13日にも戦略的ライセンスに関するプレゼン資料をコピーしていたことがわかった。Feldsteinはこれらの情報がAMDの秘密情報であり、これを保有していることは問題であると認識していたことを認めている。

2012年7月27日にAMDの弁護士によって行われた「AMD退職後の法的聴取」(AMD post-employment legal debriefing)の場では、Feldsteinはこのことについて一切語らず。 AMDにこれらの秘密資料を返還した形跡もない。 逆に、Feldsteinがこれらの資料をNvidiaその他第三者に手渡した証拠も存在しない。

AMDは被告によるトレードシークレット不正流用、不正競争、契約違反、コンピューター詐欺および濫用法違反、共同謀議を主張して、マサチューセッツ地区連邦地裁に訴訟を提起した。同時に、被告によるAMD秘密情報のさらなる開示/使用とAMD従業員の勧誘を禁ずる仮差止め命令を求める申立てをマサチューセッツ地区連邦地裁に提出した。 (*正確にはTRO=>P/I)

II.仮差し止め命令申立ての判断基準
1) 本案勝訴の蓋然性(likelihood of success on the merits)
2) 仮差し止めを認めない場合に申立人が被るであろう回復不能の損害(irreparable harm)
3) 申立ての認否によって生ずる申立人および被申立人の負担度合に関する衡平性の比較考量 (balance of equities)
4) 仮差し止め命令が認められた場合に公益に及ぼす影響(public interests)

III.考察

A.トレードシークレット不正流用の請求における本案勝訴の蓋然性
・マサチューセッツ州コモンローにおけるトレードシークレット不正流用の定義: 明確ではない(判例の不統一)

定義I. 不正な手段によるトレードシークレットの取得事実だけで不正流用が成立する
・証明事項: 1) 当該情報がトレードシークレットを構成する
2) トレードシークレットの秘密性を保持するために原告が合理的措置をとっている
3) 被告は当該トレードシークレットを入手するために不正な手段を用いた

定義II. 不正な手段によって入手したトレードシークレットを現実に使用した(actual use)
・証明事項: 1) トレードシークレットの存在
2) トレードシークレットの秘密性を保持するために原告が合理的措置をとっている
3) 秘密保持の関係に違反して不正な手段を用い、トレードシークレットを入手し、使用した

・マサチューセッツ州制定法におけるトレードシークレット不正流用の定義  Mass.Gen.Law ch.93, §42
「正当な所有者以外の者の使用に供す意思をもって、詐欺または策略により、他者のトレードシークレットを横領、窃取、隠ぺい・・・・・・する者は、その結果生じたすべての損害に対し、不法行為の責任を負うものとする」 

・第1巡回区連邦控訴裁判所(マサチューセッツ地区を管轄する高裁)の判断
「マサチューセッツ州におけるトレードシークレット不正流用の判断基準は、コモンロー上も制定法上も、本質的には同一」 (Incase Inc. v. Timex Corp., 488 F.3d 46, CA1 2007)

本件地裁の判断
Incase事件における第1巡回区判決に依拠し、制定法の定義を使用する。 すなわち、AMDは被告が「正当な所有者以外の者の使用に供す意思をもって、詐欺または策略により、他者のトレードシークレットを横領、窃取…」したことを証明しなければならない。

被告がAMDとの守秘義務契約などに違反して不正にトレードシークレットを取得したことに疑いはなく・・・、ゆえにAMDが証明すべきことは、「被告が他者の使用に供する意思をもって」不正取得したこと。しかし、これについての直接的証拠はほとんどない。 このような状況において、特許事件における「不公正行為(inequitable conduct)」の判断例を参照している事例が存在する。直接証拠が少ない場合に状況証拠から「意思」を推量する。PerSeptive Biosystems, Inc. v. Pharmacia Bioech, Inc (D.Mass 1998)他

この点、AMDが提出した状況証拠は説得力あり。
-被告が持ち去ったデータの数量の大きさ
-AMDを退職する直前に秘密情報をコピーし、保持し、すぐにライバル社で働き始めた
-FeldsteinはAMD弁護士との「退職後の法的聴取」に参加する4日前には「問題あり」と自ら認めるAMD情報を特定しており、聴取の場でも秘密情報の返還や廃棄など契約上の義務について再認識させられていたにもかかわらず、この場では何も話さず、後に返還や廃棄を行っていない。
これに対し、「不正流用の意思はなかった」あるいは「AMDの秘密情報をもっていたとしても、Nvidiaで与えられた任務に照らせば、これらを使用することはあり得ない」という被告の主張は説得力に欠ける。

よって、AMDは本案勝訴の蓋然性要素は満たしているといえる。

B.回復不能の損害

争いのない事実
-被告はすべてAMDの秘密情報に対してかなりのアクセスをした。
-AMDとNvidiaは少なくとも複数分野において競合している。

以上の状況において、裁判所は回復不能の損害が生ずる可能性を当然のこととして認めてきた。

被告は、保持していたAMDの秘密情報は、フォレンジック調査の際に自発的に中立の第三者にすべて引き渡したため、将来AMDに損害が発生するようなことはない、と主張。
しかし、AMDの懸念に対する彼らの過去の対応(完全な契約義務無視)に鑑みれば、この反論に説得力なし。少なくとも、これらの情報の多くは被告の頭の中に残っており、これらをすべて中立の第三者に引き渡したということ自体無理がある。 

上記の通り、回復不能の損害が生ずる恐れが現実に存在し、かつ被告の信頼性に問題ある場合、衡平法上の救済を認めるか否かは、当裁判所の裁量権の範囲となる。
(以下「衡平性の比較考量」「公益」の項目省略)

IV.結論

現時点での証拠記録は、被告の行為により原告が何らかの定量的損害を被ったと証明するには不十分。
ただし、これは差し止め救済を妨げるものではない — マサチューセッツ州の法では、契約違反をなされた者は、その違反による一切の損害が生じていなくとも判決を得る権利を有する(”a person who is injured by a breach of contract has a right to judgment even if the breach caused no harm.”)。

仮差し止め命令が認められる他の要素においても、公益要素の一部を除き、原告有利の判断が下された。
よって、原告AMDによる仮差し止め命令申立ては、一部(Feldsteinによる元同僚の勧誘)を除き、認められた。
———————————–

比較表・参考資料:
*1 “Massachusetts Fed. Court Grants Preliminary Injunction Absent Showing of Actual Use of a Trade Secret and Potentially Expands the ‘Inevitable Disclosure” Doctrine “ (tradesecretslaw.com 6/21/2013)

*2 “Fed. Court Rules Trade Secret Misappropriation Sufficiently Alleged Based on Improper Acquisition, Even in Absence of Use or Disclosure” (tradesecretslaw.com 10/8/2013)

*3 “Illinois Fed. Court Issues Preliminary Injunction Prohibiting Use Of Misappropriated Trade Secrets But Rejects Request For Expanded Injunction Based On Alleged “Inevitable Discloure” (tradesecretslaw.com 4/28/2013)

*4 “Georgia Supreme Court Rejects Inevitable Disclosure Doctrine” (Non-Compete & Trade Secrets Report 5/29/2013)

*5 “The Scope Of ‘Inevitable Disclosure’ in Trade Secrets” (mondaq.com 11/4/2013)

*6 “DC Court Addresses Inevitable Disclosure Doctrine For the First Time, Leaves Open Possibility For Future Use in Trade Secret Litigation” (Mondaq.com 3/18/2014)

(営業推進部 飯野)

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