IP NEWS知財ニュース

  • 知財情報
  • アーカイブ

2010.06.28

【創業50年の歩みを振り返る:NGB Best 10 topics】3.大阪出張所の開設

おかげ様でNGBは2009年11月、創業50周年の節目を迎えることが出来ました。
これを記念し、NGBの役員やOBが、記憶に残る10大トピックを振り返ります。

NGB 10大トピックとは・・・
1.海外特許情報の輸入~英国ダウエント社との代理店契約
2.外国特許出願仲介業務に参入
3.大阪出張所の開設
4.霞が関ビルへの本社移転
5.アメリカ特許弁護士のNGB駐在
6.CPA社との業務提携~外国年金管理業務の発展
7.アジア・プロジェクトのスタート
8.米国特許侵害セミナー(模擬裁判)開催
9.日本ビジネス翻訳株式会社(NBT)の設立
10.北京駐在員事務所の開設

今月は「大阪出張所の開設」をご紹介します。

3.大阪出張所の開設

  昭和42(1967)年頃になると現在の事業のほとんどが顔をそろえ、商圏も東京を中心とした関東圏から、中部、関西へと拡大していきました。そこで、大阪にも店(出張所)を出す必要があるとの創業者社長・西野の判断で大阪市北区堂島にある堂島セントラルビルに大阪出張所を開設する運びとなりました。昭和42年7月のことでした。堂島セントラルビルの立地場所は、関西財界の要人が集まる「関西倶楽部」のすぐ傍で、朝日新聞社ビルにも近い北新地のはずれに位置していました。当時、大阪転勤といっても引っ越し業者に頼むわけでもなく、経費節減ということで、当時お付き合いのあった通関業者さんの計らいで4トントラックが提供され、東京から大阪まで陸送を依頼。担当者S氏自らの運転に私と同じく大阪転勤を命ぜられた安東も同乗しました。もちろん当時は東名高速道路も開通しておらず(昭和44年開通)、名神高速道路以外は一般道を走行することになり、現在とは比較にならないくらいの時間をかけて陸送を行いました。

  大阪出張所の開設は正式には昭和42年7月16日。福田好見、安東正義、上手恭子の3名でスタートしました。業務は、安東が既存の顧客を担当、福田が新規開拓でした。ダウエント社の英文抄録誌の販売や外国明細書の販売。調査、翻訳業務の販売。さらに昭和40年に新しくはじめた外国特許出願の仲介などを関西の顧客に紹介し、業績も順調に推移しました。顧客開拓を深耕するためさらに1名出張所員を増員することになり、松本が本社から赴任しました。

  また、地下鉄が発達していた東京と異なり、関西では電車やバスでの営業活動よりも車での移動が効率的でした。そこで、営業車の購入を申請したところ、営業拡販のためならとすぐに許可が下りました。ただし、東京で購入し品川ナンバーの車を関西で利用することになったのです。当時は大阪万博(昭和45年)が開催されていたこともあり、大阪地区でも品川ナンバーや他府県ナンバーの車が多数走行していました。関西と東京で大きく異なっていたのは方角の示し方でした。東京では、右、左、あっち、こっちというような表現ですが、関西では東西南北を利用して示すことが多く、京都ではさらに上る、下る、東入ル、西入ルの様な表現がありました。顧客の住所を尋ねて、「東に向かい、南に曲がって」などと説明されても、東西南北で方角を指し示す習慣のない我等にとって理解することは大変なことでした。

  また、関西と関東では顧客の気質も異なっており、関東での営業はどちらかといえば企業対企業の色彩が強いのですが、関西での営業活動はもっと「人」の要素が強く、足繁く通う営業姿勢が評価されました。大阪出張所も歴代所長、所員の努力により関西地区での業績向上に大きく貢献し、商圏も大阪、京都、兵庫を中心とした関西圏だけでなく、四国、中国、九州までも含む西日本を商圏とするまでに拡大。昭和58年に、長年営業の本拠地とした堂島セントラルビルを離れ、大阪駅からも近く、御堂筋と新御堂が交差する地点に建設された住友生命ビルにその場所を移転しました。同時に、出張所を営業所と改め、さらなる業績の向上を誓いました。平成9年には大阪全日空ホテルに多くの取引先企業をお招きし、大阪営業所開設30周年記念パーティーを開催しました。

  今後も、大阪営業所が一層関西以西のお客様の発展にご協力できることを期待しています。

文・福田好見(OB昭34入社)

現在大阪営業所が入っている住友生命御堂筋ビル

関連記事

お役立ち資料
メールマガジン