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2010.09.28

【創業50年の歩みを振り返る:NGB Best 10 topics】6.CPA社との業務提携~外国年金管理業務の発展(前編)

おかげ様でNGBは2009年11月、創業50周年の節目を迎えることが出来ました。
これを記念し、NGBの役員やOBが、記憶に残る10大トピックを振り返ります。
NGB 10大トピックとは・・・
1.海外特許情報の輸入~英国ダウエント社との代理店契約
2.外国特許出願仲介業務に参入
3.大阪出張所の開設
4.霞が関ビルへの本社移転
5.アメリカ特許弁護士のNGB駐在
6.CPA社との業務提携~外国年金管理業務の発展
7.アジア・プロジェクトのスタート
8.米国特許侵害セミナー(模擬裁判)開催
9.日本ビジネス翻訳株式会社(NBT)の設立
10.北京駐在員事務所の開設

今回は「CPA社との業務提携~外国年金管理業務の発展」(前編)をご紹介します。

6.CPA社との業務提携(前編)

 CPA社(Computer Patent Annuities, Inc.)が行う年金管理ビジネスの話を聞き、そのビジネスの日本におけるパートナーをNGBに引き受けてもらえないかとはじめてオファーを受けたのは昭和48(1973)年でした。その話を持ち込んできたのはロンドン、バーミンガム、グラスゴー、マンチェスターの4カ所にオフィスを持つ英国最大の特許事務所マークス・アンド・クラーク(Marks & Clerk)のパートナーで、当時バーミンガム・オフィスのNo2であったレイ・チネリー(Ray Chinnery)氏でした。

 チネリー氏はそれより数年前の昭和44年か45年頃、世の中にPCTはおろかEPCすらない時代で、毎月、1発明20カ国とか30カ国、ときには100カ国近い超大型出願もあった頃、外国特許出願仲介で急成長していたNGBとreciprocal business(互恵取り引き)をしたいと、特許事務所なら大喜びする新規日本出願約20件を携えてやってきました。

 NGBは日本企業の依頼による外国出願仲介のみ行っており、海外の代理人から日本出願の申し出があったときは、知り合いの弁理士を紹介するというスタンスに止まっておりました。しかし、NGBと取り引きをせんと「実弾」まで持って乗り込んできたチネリー氏に創業者社長の西野はいたく共感し、当時の特許部長に氏の勤務するマークス・アンド・クラークのバーミンガム・オフィスとの取り引きを命じました。

 このようにして、まずバーミンガム・オフィスとNGBの英国出願仲介での取り引きがはじまりました。この経緯からも分かるように、チネリー氏は優秀な弁理士であると同時にアクティブなビジネスマンでもあり、いずれはマークス・アンド・クラークの代表パートナーになると目されていた人物でした。

 ところが、昭和48年秋、バーミンガムへの何度目かの訪問の際、チネリー氏からこんな話を聞きました。
 「マークス・アンド・クラークでは以前から4つのオフィスが管理するあらゆる年金(本国英国のほか全世界の特実意商)についてEDP(Europe Data Processing)というシステム会社の協力を得て『統合年金管理システム』を開発し利用してきたが、このシステムの安全性と完成度の高さに共感した英国の約3分の1の特許事務所が、このシステムに参画してきた。マークス・アンド・クラークの年金部門がパートナーシップとして分離・独立し、手続きおよび法制上メリットの多いジャージー島でCPA社として創業することとなった。そして、弁理士としてのプロフェッショナル業務を離れ自分が島に移り住み、そこの代表パートナーを務めることになった。家族とも相談し気がかりな娘のことも考え合わせ生活が豊かで、治安が良く、気候温暖、風光明媚、そして何よりも娘のための施設が整っている島の環境に納得し、今の仕事に後ろ髪を引かれるものはあるが、この新しい仕事にチャレンジすることにした。ついては、NGBに日本におけるこのサービスの総代理店を引き受けてもらえないか」という提案でした。

 全マークス・アンド・クラークの代表パートナーとして将来を嘱望されている彼からのこの発言に驚き、率直に疑問をぶつけると「自分たちが扱った出願から派生する年金だけではなくライバルである特許事務所が出願し、管理している案件とクライアントである企業が直接管理している全案件が市場である新しいカテゴリー(可能な限り直接各国特許庁へ支払う)の年金管理ビジネスに無限の可能性を感じている。気がかりだった島へ移り住むことに家族も同意してくれた」ためとの返答。チネリー氏の説明が上手かったのか、私もこの出願手続きから年金管理のみ切り離した独立の「年金管理サービス」に無限の可能性を感じ、チネリー氏のオファーに対し「NGBが引き受けます」と即答していました。

 将来性のあるサービスを見付けてきたと意気揚々と帰国したのですが、この件で西野から裁量権のない私の越権行為を突かれ、また、見た目の将来性のみに目が眩み見落としていたリスクを突かれ散々叱責を受けることになるとは考えてもいませんでした。結局、CPA社との年金管理ビジネスをはじめることで西野のOKを貰うまでに、9カ月も要することになりました。そして、外国年金サービス(NGB work)の打ち合わせとCPA社のより詳細な情報を入手するために、単身何度もジャージー島を訪問することになりました。いずれにしても、やっとのことでCPA社との業務提携で許可を貰うことができたわけです。

(=>後編に続く)

文・正木道弘(昭43入社)

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