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2025.07.14
営業推進部 飯野
久々に米国CAFCの判決を紹介します。2011年特許法改正(アメリカ発明法: AIA)による導入以来、米特許制度/特許訴訟に大きな影響を与えているIPR(Inter Partes Review)に関する重要判決です。
この事件では、同一特許の有効性がIPRの他に地裁(またはITC)でも争われている場合に適用される禁反言(エストッペル)の範囲について、地裁間の判断が割れている問題を連邦巡回区控訴裁(CAFC)が扱いました。(Ingenico Inc. v. IOENGINE, LLC, Fed. Cir. May 7, 2025)
IPR申立人がIPRでの無効主張に使用した先行技術を地裁における無効主張において使用することは、IPRエストッペルの適用対象となり、禁じられるのか。とりわけ本件では、システムやデバイスといった非文献の先行技術が訴訟において使われましたが、特許権者側は「IPRにおいて提起することが可能であった同システム関連の文献と実質的に同一であり、エストッペルが適用される」と主張しました。このような特許権者の主張が認められる地裁判断もあれば(エストッペルの範囲を広く解釈)、認められないとする地裁判断(狭く解釈)もあるという状況が続いていたところ、今回CAFCがこれを明確化する判断を下したというものです。
結論としては、エストッペルの範囲を狭く解釈し、IPR後に訴訟(またはITC調査)で有効性チャレンジをする機会が広がり、またシステム/デバイス先行技術の利用可能性を確認する判断が下されました。ただし、2025年に入り特許チャレンジャーにとって厳しくなりつつあるIPR利用環境が、この判決の結果さらに厳しくなりかねないという指摘もあります。
まずは今回の「前編」でIngenico判決の概要を紹介し、次回「後編」で最近のIPR環境について紹介したいと思います。
事案の概要
被控訴人IOENGINEは、米国特許9,059,969号(’969特許)および9,774,703号(’703特許)を保有している。これらの特許は、USBサムドライブのような携帯型デバイスに関するものであり、このデバイスにはプロセッサが含まれており、端末上のインターフェースに対するユーザーの操作に応答して、ネットワークサーバーに通信を送信させる。
2018年3月23日、IOENGINEはPayPal Holdings, Inc.の製品(携帯クレジットカードリーダー)がIOENGINEの様々な特許を侵害していると主張して、デラウェア地区連邦地裁に提訴した。これに対し、PayPalに被疑侵害製品を供給していた控訴人Ingenicoは、PayPalとの契約(indemnity-補償条項)に基づき、同年6月1日にIOENGINEに対する確認訴訟をデラウェア地区連邦地裁に提起した。
地裁での事実審理前に、IngenicoはIOENGINEの係争特許について特許庁審判部(PTAB)に当事者系レビュー(Inter Partes Review: IPR)を申請した。IPRの結果、’969特許および’703特許の大部分のクレームを特許性なしとする最終決定が下された。(本件は残るクレームに関する論争である)
地裁での事実審理(陪審審理)においてIngenicoは、M-Systems Flash Disk Pioneers Ltd.によって2000年代初頭に製造・販売されたUSBデバイスである”DiskOnKey”デバイスや関連する文書を先行技術として提出した。“DiskOnKey”デバイスは、“Firmware Upgrader”を含む様々なソフトウェアアプリケーションと共に提供され、ソフトウェア開発キットに記載された機能を備えている(以下、“DiskOnKey“デバイス、“Firmware Upgrader”ソフトウェア、ソフトウェア開発キットを併せて「DiskOnKeyシステム」と称する)。同システムに関連する文書は、Firmware Upgraderの機能に関する重要な詳細が記された”Readme”ユーザーガイド、およびこれらのダウンロードを可能にするM-Systems社ウェブサイトのスクリーンショットなどである。
Ingenicoは、DiskOnKeyシステムが特許法の旧102条(b)に基づく「販売(on sale)」または「公の使用(in public use)」、あるいは旧102条(a)に基づく「他者によって知られているまたは使用されている(known or used by others)」のいずれかに該当するため、対象クレームは新規性または非自明性の欠如により無効になると主張した。
陪審は、対象クレームが侵害されたことを認定したが、新規性および非自明性の欠如を理由に対象クレームを無効と認定した。地裁が陪審評決に基づく判決を下すと、IOENGINEはCAFCに控訴した。
控訴審判決 ― 原判決確認(affirmed)
判決要旨
控訴に際しIOENGINEは、DiskOnKeyシステムが先行技術であるならば、同システムにより当該特許クレームが新規性または非自明性の欠如を理由に無効となることについて争わない、とした。IOENGINEは、とりわけDiskOnKeyシステムにおけるFirmware Upgraderソフトウェアについて、販売や公知/公用を(黙示的に)認定した陪審評決について争うこととした。予備的にIOENGINEは、地裁の陪審に対する説示において法的誤りがあったこと、および特許法第315条(e)(2)によりIngenicoはFirmware Upgraderの証拠提出が禁じられるべきであったことを理由に、再審理を請求した。
*いずれの請求も退けられたが、本稿ではIPRエストッペルに関するCAFC判断のみ紹介する。
[IPRエストッペルについて]
IOENGINEは以下のように主張する。
「特許法第315条(e)(2)に基づき、Ingenicoが事実審理で”Firmware Upgrader“を提出することはエストッペルの法理により禁じられるべきであった。Ingenicoは”Firmware Upgrader”を実行する“DiskOnKey”デバイス ― IPRでは提起することのできないデバイス先行技術 ― に依拠して、当該クレーム発明について公知公用や販売を主張した。しかしながら、”Firmware Upgrader“は、IPR手続きにおいて合理的に提起することが可能であった刊行物である”Readme“ユーザーガイドやスクリーンショットと、全面的に重複し(cumulative)、実質的に同一である。」
Ingenicoの無効主張が315条(e)(2)に基づき禁じられるか否かは、同条中にある「理由(ground)」の正しい解釈にかかっている。しかし、当裁判所はこれまでこの用語の意味について解釈したことがなく、地裁の間でも解釈が割れている。そこで、まずはこの用語の意味について検討することとする。
米国特許法第315条(e)(2)は、最終書面決定(final written decision)に至ったIPRの申立人、または利害関係人は、連邦裁判所における民事訴訟やITCの337条手続きにおいて、「IPR手続きにおいて提起された、または合理的に提起しえた『理由』(any “ground” that the petitioner raised or reasonably could have raised during the inter partes review)」に基づき、当該特許クレームの無効を主張することができない、と定めている。
特許法はこの「理由(ground)」について定義していない。しかしながら、特許法第311条(b)では、IPRの範囲について、「特許法第102条または第103条に基づき提起することができる理由(ground)」に限定されると規定している。議会はさらに、IPR申立人があらゆる理論でクレームの無効を申し立てることを認めるのではなく、「特許または刊行物による先行技術」に基づく無効の主張に意図的に限定した。IPR申立人は対象発明について公知公用や販売などを理由として対象発明の有効性を争う機会を与えられていない。これらは通常、第102条または第103条に基づき提起される理由だが、議会がIPR手続きから排除したのである。
また、「理由(ground)」とはIPR手続き中に主張された先行技術のことではない。議会は、第315条(e)(2)の起草に際し「IPR手続きにおいて提起された、または合理的に提起できた『先行技術』」に基づく無効主張を排除することができたはずだが、そうしなかった。
すなわち、IPRエストッペルは、IPR申立人がIPR手続きにおいて提起した先行技術と同じ先行技術を地裁で主張することを禁じてない。IPR手続き中に提起した、または合理的に提起することができた無効理由を主張することを禁じたのである。… IPRエストッペルは、申立人がIPR手続きにおいて主張できなかった無効理由(公知公用・販売など)を主張する際の「証拠」として、同じ特許や刊行物に依拠することを禁ずるものではない。
本件において、IngenicoはDiskOnKeyシステムによる公知公用や販売を主張した。これらはIPR手続きにおいて主張できない無効理由である。そしてIngenicoが依拠した“Readme”ファイルや他の刊行物は、これらの無効理由を裏付けるための証拠である。仮にIngenicoが“Readme”ファイルをIPR手続きにおいて合理的に提起できたとしても、それは当該クレーム発明が刊行物に記載されていたという、地裁で主張されたものとは別の理由を裏付けるために過ぎない。
以上の理由により、原判決を確認する。
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上記の通りCAFCは、IPRエストッペルの対象になるのはIPRで提起された無効理由(法的理論)であり、無効理由を裏付ける証拠としての先行技術ではないと明言しました。したがって、無効理由が異なれば、証拠としての先行技術はIPRで提起されたもの、あるいは提起し得たものと同じであっても問題ないとしたのです。また、IPRで提起された、または提起し得た先行技術文献と実質的に同一(重複する)として排除される可能性のあったシステム/デバイス先行技術についても、地裁で主張する無効理由が異なれば証拠として提起できることが明確になりました。… 特許有効性チャレンジャーにとっては歓迎すべき判決ということになりそうですが、冒頭で記した通り、歓迎されざる事態も想定されるようです。
本年(2025年)3月から実施されている「IPR開始の長官による裁量的拒否に関する暫定プロセス」によりIPRのハードルが高くなっているところ、本判決がさらにIPRと訴訟との重複審理の懸念を高め、裁量的拒否の増加要因になりかねないという指摘も出ています。
次回後編では、本判決に対する専門家の評価やIPR開始に関する裁量的拒否の状況について紹介します。
CAFC判決原文: https://www.cafc.uscourts.gov/opinions-orders/23-1367.OPINION.5-7-2025_2510618.pdf