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2025.08.20
営業推進部 飯野
前編ではIPR(Inter Partes Review)における禁反言(エストッペル)の適用範囲を狭めるCAFC重要判決(Ingenico Inc. v. IOENGINE, LLC, Fed.Cir., 5/7/2025)を紹介しました。これは裁判所における特許チャレンジの幅を広げる可能性をもたらす一判例ですが、後編で紹介するのはIPRに対する米特許商標庁(USPTO)の新たな方針・プラクティスであり、より広範なインパクトを与えるものとなっています。
2022年に当時のVidal長官が示したIPRの開始(institution)に対する裁量的拒否(discretionary denials)*に関するガイダンスが2025年2月に撤回され、さらにその後発表された暫定プラクティスにより、申請されたIPRの開始がUSPTO長官(現時点では長官代行)の裁量により拒否されるケースが相次いでいます。以下、具体的にみていきます。
*裁量的拒否:通常、IPRやPGRの申立書が提出されると、PTABは、申立人が少なくとも一つのクレームについて勝訴する「合理的可能性(reasonable likelihood)」を示しているかどうかを審査する。この基準を満たしていれば、原則としてIPR/PGRの審理が開始されるが、「裁量的拒否」は、この「合理的可能性」という基準とは別に長官が特定の理由に基づいて審理の開始を拒否する権限を行使するもの。米国特許法第314(a)条(IPRの場合)や第 324(a)条(PGRの場合)に規定されている、長官の広範な裁量権に基づく。
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[裁量的拒否に関する庁方針の変遷]
2022.6.21 「並行する地裁訴訟が存在するAIA付与後手続きにおける裁量的拒否に関する暫定手続き」と題するメモランダムをVidal長官が発表 *1)
特に以下の3つのケースでは原則として裁量的拒否を行わないとした。
1. 対象特許が特許性なしとされる説得力ある証拠が提出された場合
2. 裁量的拒否の要求が、並行するITC手続に基づく場合
3. 申立人が「並行訴訟においてPTABへの申立てで提起された、または合理的に提起できるものと同じ無効化理由を追及しない」旨の誓約(Sotera誓約)* を提出した場合
本方針により、裁量的拒否を検討する際にFintive要因**を制限的に適用することを示唆した。
* Sotera誓約(Sotera stipulation):Sotera Wireless, Inc. v. Masimo Corp.(IPR2020-01019, Paper 12 (PTAB 12/1/2020) に基づく。IPR申立人が、IPRで提起した、または合理的に提起できた無効理由を、並行する連邦地裁訴訟で追及しないことを誓約することで、IPR開始に対する裁量的拒否の回避を図るもの。
**Fintive要因: Apple Inc. v. Fintiv, Inc. (IPR2020-00019, Paper 11 (PTAB 3/30/2020))で確立された、PTABがIPR手続きを開始するか否かの裁量判断をする際に考慮する6つの要因のこと。並行する連邦地裁訴訟が存在する場合に、PTABと地裁の間での重複や非効率性を避けることを目的としている。
2025.2.28 USPTOが2022.6.21のVidalメモランダムを撤回 *2)
2025.3.24 Vidalメモランダム撤回に関するガイダンスをPTABのBoalick審判長が発表 *3)
Vidalメモランダムの撤回は、その日以降に提出される申立てだけでなく、PTABが決定を下していない、または再審理・長官レビューの要求が係属中のすべての申立てにも遡及的に適用されることを明示。
また、並行するITC手続きが存在する場合もFintive要因を検討すること、Sotera 誓約の提出は裁量的拒否を回避する重要要素ではあるが決定要因ではないことなどを明示した。
2025.3.26 「PTABワークロード管理のための暫定プロセス」をスチュアート長官代行が発表 *4)
「従来型の当事者系審判請求を処理しつつ、AIAに基づく付与後手続きへの対応能力を維持するため」として、裁量的拒否に関する二分化された手続を新たに導入。
1.長官が、少なくとも3人のPTAB審判官と協議しつつ、裁量的拒否が適切であるか決定する。
2.適切でないと決定した場合、長官は、実体事項および他の非裁量的事項に基づき決定するよう3人の審判官パネルに付託する。
裁量的拒否を判断する際の検討要素として以下を挙げている。
• PTABまたは他のフォーラムが、対象クレームの有効性について既に裁定を下しているかどうか
• 対象クレームの発行以降、特許性に影響を与えうる法律の変更または新たな判例が出されているかどうか
• 特許性を否定する申立ての強さの程度
• 申立てが専門家証言に依存している程度
• 当事者の確立された期待(settled expectations)、例えば、対象クレームが有効であった期間の長さ
• 重要な経済的、公衆衛生上、または国家安全保障上の利害
*この後、新たに導入された「確立された期待」要素を根拠とする裁量的拒否が頻発し、議論となる。
[スチュアート長官代行による暫定プロセスの実施 – 「確立された期待」要素の適用]
iRhythm Technologies, Inc. v. Welch Allyn, Inc.(IPR2025-00363他, PTAB 6/6/2025)
「確立された期待」要素が適用された初のケース。
PTABの最終書面決定の予定日の方が、地裁の公判期日より早い。地裁手続きにおける当事者の投資はさほど多くなく、IPRが開始されれば地裁手続きが停止される可能性が高い。申立人による専門家証言の利用は適切など、裁量的拒否を否定するような要素も複数存在したが、「確立された期待」の存在を理由に、スチュアート長官代行は次のように述べてIPR開始を拒否した。
「対象特許のひとつは2012年以降有効に存続しており、申立人もこの特許について自身の特許出願で引用しているため2013年には認識していた。申立人が特許を認識していながら、早期の異議を申し立てなかったという事実は、上記の他要素にかかわらず、裁量的拒否という結論を導くものとなる」
Dabico Airport Solutions v. AXA Power APS(IPR2025-00408, PTAB 6/18/2025)
スチュアート長官代行は次のように述べて裁量的拒否を決定した。
「対象特許は8年間有効に存続しており、これにより『確立された期待』が生ずる。…ここでいう期待がいつ確立されたのかについて明確な基準はないが、一般に、特許の存続期間が長ければ長いほど、期待はより確立されたものとなる。このアプローチは、確立された期待やインセンティブに対する他のアプローチ、たとえば特許侵害訴訟の提起にも当てはまる。特許法第286条(法で他に規定されていない限り、侵害に対する訴状または反訴の提出より6年以上前になされた侵害に対する回復を請求することはできない)
さらに、特許出願(18ヵ月後)と発行後特許のほとんどは公開され、公衆、投資家、競争相手、その他商業上の利害関係者に特許の存在を通知する(特許法第122条)。 関心ある当事者は公開された特許や特許出願を庁の自動調査システムを使って調べることができるため、特許の存在や特許侵害の可能性について現実の通知(actual notice)をすることなく、確立された期待は生み出される…」
本件特許はiRhythm事件の特許よりもかなり短い8年の存続期間ながら、「長ければ長いほど…」という基準(?) の中で認められた。また申立人が早期に対象特許を認識していたiRhythm事件と異なり、本件申立人が対象特許について認識していたという証拠はないが、ここでは特許の公開による「擬制通知」(constructive notice)の効果について言及されている。
[スチュアート長官代行による裁量的拒否に対するIPR申立人の訴訟例]
実際にIPR申立をした後に裁量的拒否を受けたSAP米法人とMotorolaはそれぞれ、USPTOおよびスチュワート長官代行による裁量的拒否、特にその遡及適用に対して、連邦巡回控訴裁判所(CAFC)に職務執行令状(writ of mandamus)を求め提訴した。
In re SAP America, Inc.(No. 25-132, CAFC 6/20/2025)
SAPの主張と請求:2025年2月28日のVidalメモランダムの撤回、および2025年3月24日に示された遡及適用は、違法な遡及的方針転換である。SAPは、Vidalメモランダムが有効であった期間中にIPR申立てを行い、Sotera誓約を提出したにもかかわらず、PTABは、Vidalメモランダムを撤回した後、SAPの申立てを裁量的に却下した。SAPは、Vidalメモランダムに依拠して行動したにもかかわらず、その後に方針が変更され、自身の申立てが拒否されたことで、予測可能性と公平性が損なわれた。これらは合衆国憲法が保障するデュー・プロセスに反する。さらに、スチュワート長官代行による方針転換は、行政手続法(Administrative Procedure Act: APA)に違反し、行政権限を逸脱している。特に、裁量的拒否の新たな基準、例えば「当事者の確立された期待」といった要素の導入は問題である。
裁判所(CAFC)は、USPTOに対し、2022年の拘束力ある庁ガイダンス(Vidalメモランダム)をSAPのIPR申立ておよび2025年2月28日より前に提出されたすべての係属中IPR申立てに適用し、IPR申立てにおいて合理的に主張できなかった無効理由を、並行する地裁訴訟で取り下げる圧力をかけないよう命ずべき。
In re Motorola Solutions, Inc.(No. 25-134 CAFC 6/23/2025)
Motorolaの主張:実際にPTABは一度MotorolaのIPR申立てに対し開始を決定していたにもかかわらず、その後の方針変更により、開始決定を取り消し、裁量的拒否を決定した。拘束力あるVidalメモランダム(これにMotorolaは依拠した)の撤回と遡及的適用は、APAとデュー・プロセス違反に相当する。
裁判所(CAFC)は、2022年Vidalメモランダム撤回を取り消し、撤回前の拘束力あるルールに従いMotorolaのIPR開始を復活するようUSPTOに強制すべき。
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以上、2025年に入り、USPTO・PTABによるIPRの扱いが、申立人(特許チャレンジャー)にとってかなり厳しいものになりつつある状況をざっくりと紹介しました。とりわけ、暫定プラクティスにおいて新たに採用された「確立された期待(settled expectations)」という検討要素については、本稿では初期の2例のみ紹介しましたが、実際はその後さらにスチュアート長官による適用が「猛威をふるっている」(申立人目線でいえば)状況です。これに反発する申立人(SAP, Motorola)の提訴も含め、今後の展開に要注目です。
[注]
1. Interim Procedure for Discretionary Denials in AIA Post-Grant Proceedings with Parallel District Court Litigation https://www.uspto.gov/about-us/news-updates/director-vidal-provides-clarity-patent-trial-and-appeal-board-practice
2. USPTO rescinds memorandum addressing discretionary denial procedures https://www.uspto.gov/about-us/news-updates/uspto-rescinds-memorandum-addressing-discretionary-denial-procedures
3. Guidance on USPTO’s recission of “Interim Procedure for Discretionary Denials in AIA Post-Grant Proceedings with Parallel District Court Litigation” https://www.uspto.gov/sites/default/files/documents/guidance_memo_on_interim_procedure_recission_20250324.pdf
4. Interim Processes for PTAB Workload Management https://www.uspto.gov/sites/default/files/documents/InterimProcesses-PTABWorkloadMgmt-20250326.pdf