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2010.07.28

【創業50年の歩みを振り返る:NGB Best 10 topics】4.霞が関ビルへの本社移転

おかげ様でNGBは2009年11月、創業50周年の節目を迎えることが出来ました。
これを記念し、NGBの役員やOBが、記憶に残る10大トピックを振り返ります。

NGB 10大トピックとは・・・
1.海外特許情報の輸入~英国ダウエント社との代理店契約
2.外国特許出願仲介業務に参入
3.大阪出張所の開設
4.霞が関ビルへの本社移転
5.アメリカ特許弁護士のNGB駐在
6.CPA社との業務提携~外国年金管理業務の発展
7.アジア・プロジェクトのスタート
8.米国特許侵害セミナー(模擬裁判)開催
9.日本ビジネス翻訳株式会社(NBT)の設立
10.北京駐在員事務所の開設

今月は「霞が関ビルへの本社移転」をご紹介します。

4.霞が関ビルへの本社移転

  今日のNGBの隆昌は「霞が関ビルへの本社移転」を抜きには考えられない。創立50周年を迎えるにあたって、今さらながら移転を英断した創業者社長・西野の慧眼には驚嘆させられる思いである。今ではさして珍しくもなくなったが、霞が関ビルは我が国初の超高層ビルであり、当時はその構想段階から巷で注目の的であった。特許庁に隣接するこのビルは官庁街の一角を占め、特許庁への行き帰りの都度、特許関係者の誰もがその建設の推移を目の当たりにしてきたのであった。我々にとっても、その霞が関ビルにオフィスを構えるなどということは、垂涎の的というより、むしろ、ただ見ているばかりで思いも寄らない“高嶺の花”そのものであった。

 その霞が関ビルへの移転が昭和42(1967)年の秋、現実となるニュースが突如として社長・西野の口から発せられたのである。正に青天の霹靂で、全社員にとって「夢か現か・・・」といった状況であったことは容易にご想像頂けるだろう。しかもオフィスとしては最上階の32階という。地上100メートル超といえば、当時、東京タワーをおいて他にはなかった。

 昭和43年4月、いよいよ霞が関ビルへの移転が実現した。ワンフロアのオフィス・スペースは800坪、その4分の1の約200坪でのスタートである。眼下に東京湾を見晴るかすロケーションであった。移転前の小さな雑居ビル(日本橋・三越前)とは比較にならず、これぞオフィスとの思いを誰もが抱いたものである。移転当日はTV取材があり、放映もされた。

 当時の霞が関ビルは、就業人口が五千人、来訪者を含めると1日当たり1万人が出入りしたという。郵便局あり、銀行あり、ステーショナリーやブックストアは無論、レストランに飲食店・喫茶店、クリニックまでもがそろい、しかも展望階まであるという巨大なコミュニテイを形成していたのである。今でいう“ワンストップ・ビル”の走りともいうべきものであった。

 この霞が関ビルへの移転を契機として、当社に対するお客様からの信用・信頼度は格段に向上し、全社員がそれを肌で感じることができた。商談の折にはビルの話題で持ちきりとなり、また、それまで滅多になかった来客も増え、当時4室あった応接室ではまかないきれないことも再三再四であった。

 また、新卒採用にも大きな変化をもたらした。それまでの選ばれる立場から選ぶ立場へと変貌したのである。首都圏以外の地方からの応募も増えて、面接中心であった選抜が書類選考・筆記試験へと多段階選考も余儀なくされる次第となった。

 この霞が関ビルでも、当社は業容の拡大と共に増床を重ねていくことになるが、それも空室待ちが長期化し、遂には筋向いの「虎ノ門三井ビル」へと一部の部門を移転させざるを得ない仕儀となった。オフィスが広くはなったものの、そこには弊害もあった。分散化に伴い部門間の連携が阻害され、社員相互の交流が疎になったのである。平成5年11月、霞が関ビルの25周年リニューアルを機として、オフィスの分散状況を回避すべく「アーク森ビル28階」への全面移転となる。この霞が関ビルでの25年間・四半世紀は、当社の業容・業績の一大飛躍期であり、今日の50周年を迎える大きな礎となったのである。

文・坂本荘二(OB昭39入社)

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